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職業:アニメーター
名前: 笹川 ひろし (ササガワ ヒロシ)

漫画家手塚治虫の下でアシスタント第一号として活躍後、
自身も漫画家として 独立し数々の連載を抱える人気漫画家となる。
その後、竜の子プロダクション創立者の吉田竜夫とその弟の吉田健二、
漫画家吉田豊治と共に『株式会社竜の子プロダクション』を立ち上げ、
数々の名作を生み出し現在に至る。

今作『ヤッターマン』では、総指揮総監督として参加している。

株式会社竜の子プロダクション: http://www.tatsunoko.co.jp/
『ヤッターマン』HP:http://yatterman.jp/



お仕事の概要を教えていただけますか?

現在はですね、『ヤッターマン』の製作にかかわっています。

監督はいますが、(私は)総合的な、難しく言えばスパーバイザー、 わかりやすく言えば総指揮、総監督ですね。

ヤッターマン以外の部分ではどんなお仕事を?

竜の子プロダクション創世記からずっとディレクターをやってきました。

マッハGoGoGo、ハクション大魔王、新造人間キャシャーン等ですね。

この職業に就こうと思ったきっかけは何だったのですか?

私ね、生まれは福島県の会津若松市で田舎だったんですね。

そこでね、漫画家になろうと思い出したのが、小学生の上級生くらいかな。

絵は上手いねって周りに言われて絵の道に行こうかなと。

絵が一番僕にとってちやほやされる自信のあるものだなって、 漠然とした考えがあったんですね。

それで、なぜこの道を選んだかというとですね、それが功じましてね。

会津若松市というのはほとんどあの漆器類って言うんですか。

街のほとんどがそういう職業が多かったんです。

私もその道に入りまして、社会人になって具体的に修行を始めたときにですね、 手塚治虫先生の漫画、単行本を見ましてね。

それで触発されまして、「漫画ってのはすごく面白いな。」って感動しました。

それで、そのうちに「自分も漫画家になれるのかな?」って考えるんですね。

そのうちに「なりたいな。」になってくるわけですよ。

それで、せっせと原稿もどきを(真似て)描くようになるんですね。

でも、その(描いた)原稿をどうすればいいのかわからないんですよ。

それで、友達や家族に見せて喜んでいたんですけども。

どうもそれではあまり反響が無いでしょ。

みんな上手いねって言ってもらえるぐらいですから。

描いた原稿をどうしたらいいのかわからなくて、田舎ですから。

それで、原稿を手塚治虫先生に送ってみたんですよ。

もう一切返ってこない、返却は無いだろうと思いながら。

何回か描いては送り、描いては送りしているうちにですね、返事をいただきましてね。

「あなたは非常に熱心だ。」みたいな、非常に嬉しい返事でした。

肉筆画のサイン入りで頂きましたよ。

これは嬉しかったですね。

それで、今度は先生に会いたくなってくるんですね。

会津若松から手紙を出して、(会って頂く)日取りも決めていただきまして、会いに行ったわけですよ。

その頃先生は売れっ子作家だったので、なかなか会えないんですよ、実際ね。

待ち続けて3日…4日目ですかね、とうとう会っていただけましてね。

その頃の先生は、専属のアシスタントという人はいなかったんですよ、 頼まれたらくるアシスタントならいたんですけどね。

それで私が、ほとんど住み込みのような形で、 専属アシスタント第一号として一緒にお仕事をすることになったんですね。

そこで1年半くらいアシスタントの仕事、もう修行というかね、先生は教えてくれませんでした。

ただ、先生の描いた原稿を直接触るわけですから、 「ああ、こんな風に描くんだな。」ってわかるでしょ。

それが勉強ですよね。

それから、「絶対に人の真似をしてはいけない。」と先生そういう風に仰ってましたね。

そのうち、先生のところに来ている編集の方たちともお話しするようになりますし、 仲間というか、親切な編集者の方もいましてね。

「今度の創刊号で8ページのスペースをあげるから書いてみないか。」とチャンスをもらいました。

そこで初めて8ページ描いて、それでデビューですよね。

それで、漫画家初めてアシスタントも自然と辞めさせていただいて、 それも先生にちゃんと許していただいて、雑誌で描き始めたんですけど。

今度は、雑誌業界が景気が悪いと言うか、 廃刊になる雑誌が多くなってきたんですよ。

と言うのもテレビが出てきましてね。

もうテレビ一色になってしまって、雑誌が衰退してくると言うか、 このまま無くなっちゃうんじゃないかと思いましたよ。

これは何とかしなくてはいけないなと思っているうちに、 テレビアニメが盛んになってきましてね。

手塚先生も一生懸命テレビのお仕事に向かわれるんですよ。

劇場アニメ「西遊記」とか、あのあたりをせっせと 漫画の連載を抱えながら東映動画に通われてね。

僕は漫画家でいいなと思っていたんですけど。

アニメで「鉄腕アトム」が放送されるや、アニメアニメになってくるんですよね。

確かに画が動くんで面白いんですよね、もし自分の考えた物が動けばどれほど楽しいかっていう、 今度は、そういう目に変わっていくんですね。

で、たまたまその頃ですね、タツノコプロの創立者の吉田竜夫さんやその弟さんの吉田健二さん、

九里一平さんて言うペンネームで吉田豊治さんがやっぱり漫画家で、同じ漫画家同士で家が近かったので時々遊びにいったりしていたら、

「アニメをやろう。」と言う話がだんだん固まってきてね。

それで、今の蒲ウの子プロダクションがあるんです。

でも、漫画家たちが事業家として企業になったわけですから。

大変ですよ、その資金とか、人集めとか、 動画とかアニメの知識と言うのは、漫画家だからやれると言うわけではないんですよね。

やはり、同じ画でも違うんですよ。

そういうことがありますんで、その頃は「鉄腕アトム」とか モノクロアニメがぽつぽつ放送されてきた時期ですから。

まぁ、開拓の始めですよね。 そういう時期にアニメーションやろうって言って、人を募集してね。

国分寺、北町って言うまだ山林だった土地を買って、木を切って プレハブでスタジオを造って、それで竜の子プロダクションが出来たんです。

でもしばらくね、自分で目指してきた漫画の道も捨てきれなかったんですよ、やっぱり。

でも、アニメはアニメで面白いし、大勢の人とやりますからね。

どっちも面白いんですけど。

吹っ切れるまで2、3年は、かかってましたね。

それでもう両立は無理だと言うことで、出版社に行って連載していた漫画を「ちょっと休ませてください」といって

アニメの方に専念するようになりました。

結局そのままアニメのほうにずっときてしまいましたね。

このお仕事に就かれてから今までのお仕事の中で一番印象深い作品は何でしょう?

やっぱりタツノコプロのTVアニメの第1作目の『宇宙エース』の第一話ですね。

パイロットフィルムを試験的に造る。

そこからきましたから、苦しみでもありましたしね。

今まで放送された中でもそれが一番感慨深い作品ですね。

みんなTVで放送されたときは本当に涙物で、TVに拍手送りましたよね。

それから、こんど(テレビが)カラーになるんですよ。

で、白黒で見ても、カラーで見ても綺麗に見れるように作ってくださいって言われてね。

それは、きつかったです。(笑)

赤色はモノクロで見ると灰色に見えるんですよ。

でね、『紅三四郎』っていう作品で、(主人公は)赤い柔道着で赤いオートバイに乗ってね。

夕日がオレンジ色で、タイトルが赤でバッて出るんですよ。

全部灰色なんですよ、モノクロで見たら。(笑)

カラーは非常に綺麗なんですけどね。

頭の中では計算どおり、ちょっと薄い灰色かな、ちょっと濃い灰色かなって計算してやるんですけど、

その当時TVも今みたいに綺麗じゃないんですよ。

どっちが悪いかわからないんですけどね、送信側なのか受信側なのか。

『マッハGoGoGo』や『紅三四郎』で、初めて(カラーに)挑戦したんですけど。

やっぱりこの辺の作品も思い出深いですね。

それから、元々吉田竜夫さんたちはハードな絵がお好きなんですよ。

私は手塚流ですから、丸っこいディズニー張りの絵が好きなんですよ。

それが融合するかと言うところで、難しかったですけどね。

私はもう漫画家じゃないんだと、アニメの演出家ですからね。

キャラクターを如何に面白く動かせて、演技させていけばいいのかということに やっと気がついたと言うか、大分遅めに気がついてですね。

それから気が楽になりましたよね。

だからどんなキャラクターが来ようが、演出として面白くその作品の個性を出すか。

専念しました。

キャラクターに関しての、「俺の絵と違う」と言う観念は大分意識が変わってね。

そうじゃないとやってこれなかったでしょう。

もしかしたらまた漫画界へ戻ってたかもしれませんね。

当時ね、ハードな画はアニメじゃ出来ないっていう常識があったんですよ。

漫画映画ですからね。

藤子不二雄さんの画や手塚治虫先生の画のような丸っこいのがアニメでね。

たとえば、自動車でも走り出すときに(車体が)伸びて、ピューっと走って行って、

止まるときもキキーッと(車体が)縮んでビヨヨンと戻る、それがアニメだと思われてますから。

『マッハGoGoGo』は普通に硬い車が、カーブするときでもスピンしてね、そこまでリアルにやるんですよ。

これはもうアニメでそこまでしたら、絶対に採算は合わないし。

顔一つ書くにもピシッと描かないとね、何千枚と描くとなるとそういった顔をかける人がいないんですよ。

アニメーターと言われる人たちの中にね。

それで、タツノコプロのアニメは難しいと言うことでね、 アニメーターの間では非常に嫌がられていたんですね。

だから、そういう描ける人を探すというのも大変でしたし、 そんな中で『ガッチャマン』とか『キャシャーン』とか、

そういう作品を何が何でもやるんだって言って、もうがむしゃらにやったんですけどね。

ただ、今こういうリアルな、一般の人が見ても アニメじゃないみたいな、

普通の映画見ているみたいなリアルさの原点というのは やはりあの辺だと思いますよ。

もし竜の子プロダクションがやらなかったら、ずーっと昔のアニメのままで 今のリアルなものは無かったかもしれませんね。

2008年1月14日より読売テレビ・日本テレビ系列にて毎週月曜日、夜7時から全国29局ネットで、
実に30年ぶりに笹川さんの代表作でもある『ヤッターマン』が新しくなってスタートすることが決定してますが、
復活の経緯というものは?

私達、タイムボカンシリーズというのを8作品やっているんですけれど、 それ後また企画は立ててたんですよ、実は。

シリーズとして、ヤッターマン的なものをやろうということで。

そしてスタッフを固めようとしたときに、読売テレビさんから 「ヤッターマンをやりませんか?」というお話がありましてね。

じゃぁ、そのスタッフで『ヤッターマン』やりましょうと。

アニメを通じて子供たちに伝えたいことはありますか?

今のお子さんたちは、やることがいっぱいあってね、 なかなかテレビだけには行かないと思うんですけど。

一回見ていただくと、本当に遊びの作品ですから。

一緒になって遊ぼうやという気構えで作った作品ですから。

玩具的なメカアクションや、悪い3人組もいますけど、もう悪とはっきりわかりますからね。

それから、バラエティ的な要素も入れていこうということで、 本当にその時間は一緒に遊ぼうという、大分開放的な時間にしたいと思って。

それ見て、明日の元気に繋がればいいんじゃないかなと思うんですけどね。

今までのお仕事の中で最もやりがいを感じたのはどういうときでしょう?

やっぱり、反応といいますかね。

作っているものに敏感に伝わってくるんですよ。

反応が良い作品が出来上がったときは 本当に嬉しくてですね。

例えば、そのたびに玩具が売れたり、 具体的に見ていてくれているんだなということが伝わってきますよね。

それはやっぱり嬉しいですよね。

やってよかったなというか。

今よりさらに20年後、この業界はどうなっていると思われますか?

どうなるんでしょうねぇ。

さらに娯楽的といいますか、細分化さてね。

でもアニメは残るでしょうけど。

まずは映像自体が今の手書きが残るかどうかですよね。

アメリカあたりじゃもう全部CGですからね。

でも手書きでしか表せないアニメの良さがあるので、 ぼくは手書きは残ってほしいね。

短い短編がパカパカ出来てくるか。

素人とプロとの差がなくなってくるか。

誰でも作れ、誰でも売れる、誰にでも見せれる。

そんな風になってくるかもしれませんね。

このお仕事を続けていく上で日々行われている努力などはありますか?

見ることですか。

アメリカのアニメを見てくるとですね、これ敵わないなってなっちゃうんですよ。

何でかわからないんですけど。いい刺激になりますね。

やっぱりすごいんですよ、もうシステムが違うんじゃないかと思っちゃう。

これはどうやったんだろう的な、このぐらいだったら出来るだろうなっていうのもありますけど。

機械というか、お金のかけ方というか、すごいですね。

日本のアニメも進んでるかもしれないですけど、 まだまだ追いつけていないですね。

そういうアメリカのアニメだけじゃなくて、良いアニメをたくさん見て刺激を受けることですね。

世界的には日本のアニメは優れていると聞きますが?

やはり手先の器用さと言いますかね。

それは日本人の器用さもあると思うんですけども。

特にアメリカ辺りは、線が太いと言うか。

将来この職業を目指している人たちへ応援メッセージをお願いします。

やっぱり、やってみようと思ったらね 失敗はもうしょうがないと思ってやってみるしかないと思うんですね。

もう、その世界に入ってやるしかないんですよね。

あとで、あの時やっておけばよかったなと言う後悔がないように、 なるべく若いうちに、やりたかったらやってみたほうがいいと思いますよ。

若いって言うのは、今思うと非常に貴重です。

怖さ知らずって言いますかね。

怖さを知らないから何でもやってしまうでしょう。

それが通用するときがありますから。

今はアニメーターと言えば誰でも知っている、いい時代になっていますよね。

だから、やろうと思ったらとりあえずやってみたらどうでしょうね。

苦労は何の商売でもありますから。

好きなことをやっていけるというのは楽しいんじゃないですか。

最後に1月14日から放送が開始されます『ヤッターマン』を見てくれるであろう皆さんにメッセージをお願いします。

30年位前にやった作品が、今またここで新しく復活してきてですね。

お父さん、お母さん方が大体見ていた年代の方だと思うんですね。

今度はそのお子さんたちと一緒に見れるんですね。

この新しいお子さんたちがどういう反応を示されるか、 怖い面もあるし、楽しみな面もあるんですけど。

どうか一緒になってね、昔をしのんだりしてみてください。

新しい子供たちに目の輝きを期待してね。

面白い作品にしようと今躍起になってますけど。

これだけアニメ作品の多い中で、新鮮に見て頂けたらいいと思いますね。

そして、大人にも懐かしんでもらえるとね。

それが一番ですね。

それでは、本日はありがとうございました。



伝説のアニメ『ヤッターマン』が新アニメになってカムバック!
2008年1月14日より、読売テレビ・日本テレビ系列全国29ネットで
毎週月曜よる7時、アニメ『ヤッターマン』放送開始!
『ヤッターマン』に関する情報はこちら!
ぽちっとな! http://yatterman.jp/
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